1年前に中間活動報告をブログでもしましたが中間報告をしておいて最終報告をしないというのも変な話なので事務所での最終活動報告会での内容もブログにて発表します。
発表の持ち時間15分という中に収まりきらなかった説明や無駄な情報なども盛りだくさんに入れたのでここでの報告内容の方が充実していますw
それでは最終活動報告を始めます。
最終活動報告と題しまして27年度(2015年度)3次隊、PCインストラクターの青井が発表させていただきます。
こちらが本日の発表の流れとなります。
まず初めに簡単に自己紹介をさせていただきまして次に活動報告を致します。そして最後にカンボジアとウガンダの比較、といった流れで進めさせていただきます。
自己紹介
なぜカンボジアとウガンダの比較なのかと申しますと、既にご存知の方もいるかと思いますが私は今回の協力隊が2回目の協力隊生活でして、1回目はカンボジアで活動しておりました。
カンボジア時代は気候も暑く、床屋もありましたので髪も短かったのですが現在のウガンダではご覧のように髪も伸び、髪が伸びるに従いさまざまな有名人・芸能人に似ているといわれるようになってきました。
作曲家の佐村河内守ですとか、
芸人のロッチ中岡、若い方はご存じないかもしれませんが宅八郎、などに似ていると言われています。
ひとりひとりを見ていくとどこが似ているのかと感じる部分もありまして、やはり髪形とメガネなのではないかと思います。
サングラスと髭があったら皆同じになるんじゃないかと思い描いてみたところ
全員佐村河内守になってしまいましたw
そんな佐村河内軍団に所属する私が活動していたのは
ウガンダの西部、ルワンダ国境の街カバレにありますKigezi(チゲジ) College Butobereというセカンダリースクールです。生徒数約400名の男子校になります。
ではここでの活動結果報告に移ります。
活動結果
まず前回報告、1年経過時点での活動結果をおさらいし、それが2年目でどのように変化したかといった流れで報告致します。そして最後に「あいうえお作文」で活動について振り返りたいと思います。
私の活動についてですが学習環境の改善、学習内容の改善ということに焦点をあてて活動してまいりました。まず1年経過時点での私の活動結果についておさらいしておくと、学習環境に関してはプロジェクター代わりのオリジナルソフトの導入、コンピュータの管理についてはフリーソフトを導入することで1年経過時点である程度改善出来たと報告させていただきました。
学習内容についてはフリーのタイピング練習ソフトを導入し授業内でのタイピング練習時間の設定などをしていたものの一定のレベルに到達する生徒はまだ出てきていなかったといった状況です。
2年目の結果に移る前に私の2年間のやる気の変化をグラフ化しましたのでご覧いただきたいと思います。
こちらが私のやる気の変化グラフになります。配属直後は大統領選挙もあり、授業開始が通常より遅かったのも懐かしい思い出ですが、配属直後は全授業のサポート、クリック練習ソフトやプロジェクター代わりのオリジナルソフトの開発などで学校からの帰宅後や休日も忙しく動いておりました。
ただ時間を守らない同僚、言ったこともすぐ忘れたり、やらない同僚と行動を共にするうちにストレスも溜まりやる気もなくなってきました。1年経過時点で既にあまり同僚と一緒には活動をしないですむ方向で動くようになってましたが2年目にはさらに同僚と絡む時間も減ったと思います。
年度末休暇で多少やる気が復活したように思ったもののそのままずるずると右肩下がりになっています。伸びたのは髪だけでやる気は伸びず・・・。そんな2年目にはこんな活動を計画しておりました。
学校のホームページの作成、成績表の電子データ化、コンピュータルームのレイアウト変更、時間割作成ソフト(フリーソフト)の導入です。
実際画像のようなホームページの雛型を作成したりもしましたし、成績表の電子データについては既に先輩隊員がエクセルによる成績表データを作成しておりましたので一部を変更するだけで導入することも可能でした。
ただ私がやる気を出し、始めのとっかかりの部分が始まったとしても、結局のところそれを継続させるというところまで行かないと判断し、実施に至りませんでした。
そんな2年目ではありましたが唯一新たに始めたこともありました。
それがコンピュータルームの開放です。昨年度は早朝授業、通常授業、夕方授業、夜授業と朝から夜までみっちり時間割が詰まっていたのですが本年度のOrdinary Level(低学年)に関してはこの夕方の授業がなくなりました。
もっと練習をしたいという生徒もいましたのでこの時間にコンピュータルームを自習用に開放しました。多い日でも両手で数えるくらい、だいたいいつも片手で数えるくらいしか自習に来る生徒はいなかったのですが毎回のように顔を出してくれる生徒もいて、そういった生徒は少しずつレベルアップしていっていたので開放してよかったと思います。
そんな2年目終了時点での結果です。
学習環境について、1年経過時点である程度解決と報告しておりましたが残念ながら以前の状態に戻ってしまっています。プロジェクター代わりに導入したオリジナルソフトはインストールマニュアルなども作成したものの同僚がインストールすることは一度もありませんでした。
コンピュータ管理のためにフリーソフトの導入もしていましたがもともと「コンピュータを管理する」という考え方がないため何かあればWindowsのクリーンインストール(再インストール)をすればいいと思っておりまして実際今年の卒業試験前に同僚は数台のコンピュータにOSを再インストールしておりこれらのソフトは既に利用出来ない状態になっています。
一方、タッチタイピングについてはコンピュータルームの自習開放なども手伝い、4人の生徒が私の設定したスキルレベルに到達することが出来ました。ただ授業中に直接タイピングの方法を指導した生徒は延べ約200名いますので割合にすると2%であり改善したとは言い難い結果です。ゼロという結果で終わらなかったのはよかったと思います。ちなみに4人中3人は自習時間に何度も顔を出していた生徒になります。
以上で活動結果の報告を終わりますが最後に私の活動、配属先について「あいうえお作文」で振り返りたいと思います。
なぜ「あいうえお作文」なのかといいますと
中間報告の際に「ウガンダ生活のさしすせそ」というものを発表させていただいたのですが(思い込みかもしれませんが)これが好評だったような気がしまして今回も同じようにあいうえお作文を作ってみようと思った次第です。
それでは「活動・配属先のぱぴぷぺぽ」を発表します。なぜ「ぱぴぷぺぽ」なのかといいますと単純に作文が難しそうだと思って作文を考えてみたところ、うまいこと作文出来たと言うだけで特にぱ行に意味はありません。
活動・配属先のぱぴぷぺぽの「ぱ」
・パワーポイントを使わない授業
コンピュータの理論の授業に関してはパワーポイントを使わないのが当たり前の状況なのですがこれは電気も安定しない私の配属先ではある意味仕方がないことなのではと思っています。
ただ電気もある、コンピュータルームで授業をしている、それも実技(!)の授業中でもこのように黒板を使ってエクセルの表を入力し、このセルにこのようにIf文を入力するんだとドヤ顔で説明している同僚を見るとあきれてものも言えませんでした。
活動・配属先のぱぴぷぺぽの「ぴ」
・ぴったり始まらない授業
ウガンダ全土で同じような状況だと思いますが特に私の同僚はひどかったのではないかと思います。10分遅れるのは当たり前、朝一の授業に関しては30分遅れるということもちょくちょくありました。
活動・配属先のぱぴぷぺぽの「ぷ」
・プレゼントしたJICA PCが一番の貢献
ウガンダ事務所の方から廃棄するPCをいただき配属先に寄贈させていただきました。普段の授業などでは感謝などを感じることはありませんがパソコンを寄贈した時には感謝され喜んでいただけたのであげてよかったと思っています。
活動・配属先のぱぴぷぺぽの「ぺ」
・ペンを持ってこない生徒
授業の時に名前とサインを書かせて出欠を取っていたのですが毎回出欠を取るのでペンを持ってこいと言っているのにいつも一部の生徒しかペンを持ってきておらず「ペンを貸してくれ」「ペンを貸してくれ」と言っている生徒たちのやり取りはウガンダ七不思議のひとつでした。
活動・配属先のぱぴぷぺぽの「ぽ」
・ポリスにお世話になる学校
前回報告時もニュースが新聞記事になったといいましたが本年度もやらかしてくれました。それがこちらです。毎度おなじみライバル校に攻め入ろうとしたことで警察出動、停学数十名という素敵な事件が起きました。
そんな私の配属先のテーマソングは尾崎豊の「卒業」なのですが
この事件の時の夜に私は家にいてものすごい爆発音を数回聞きました。後で聞いたところによると警察が出動して催涙弾が使われたらしいです。翌朝学校周りを確認してみると・・・正門にあったはずのアスカリ(門番)の小屋が破壊されておりました。
窓ガラスを壊すくらいならやんちゃといえるかもしれませんが窓ガラスどころか建物も壊してしまう生徒達。これはやんちゃを通り越し危険としか言えないのではないかと思います。
そんな危険な配属先での活動でしたが事件に巻き込まれることもなくこうして無事活動終了を迎えることができ嬉しい限りです。
カンボジアとウガンダ比較
それでは最後にカンボジアとウガンダの隊員生活を比較して終わりたいと思います。住環境と食生活について見ていきます。まずは住環境について。
こちらがウガンダの家になります。
おもしろおかしく紹介するとこんな感じの物件広告になります。コンクリートうちっぱなしのデザイナーズ物件。同期がこの家をもっと端的に表す言葉で表してくれましたがその言葉とは
「やぎ小屋」ですw
実際の長所を上げるとしたら庭があるという点くらいかなと思います。
一方、カンボジア時代に住んでいた家はというと
こちらです。
しっかりとした門構えのこちらの大きな2階建て一軒家の2階部分を借りて住んでおりました。
入口を入ると広いリビングダイニング。
重厚な家具があったり、
応接セットもありました。
そして何人でも泊まれる3ベッドルーム。
一度も使わなかったもののなんとバスタブ付きの2トイレ。
もちろんガスレンジのあるキッチンもあります。
電気も水道も安定しなかったウガンダに比べ、カンボジアでは停電の時間も比較的短く、また貯水タンクのおかげで断水を経験することもありませんでした。
先ほどの写真には出てきていませんが(使用していなかったものの)エアコンや扇風機など電化製品も充実していました。今考えると天国のような家です。
立地に関して、買い物も不便なウガンダの家でしたが、カンボジアの家はタウンの中心部にありレストランや商店、銀行など自転車数分の範囲に生活に必要なものすべてがそろっていました。カンボジアの方がどれだけ生活しやすいか容易に想像していただけるのではないでしょうか。
それでは次は食事について見ていきます。ウガンダの食事については皆さんご存知ですのでカンボジアの食事を紹介します。
(対象者がウガンダ在住者のためここでは説明していません。ウガンダの食事は朝はパサパサのパンやポリッジなどで、ホテルなどで食べる時は肉ソースなどが掛かった料理用バナナ(カトゴ)があります。昼や夜は学校の場合ポショ豆です)
カンボジアの朝食はこちらです。
左がバイサイチュルーク(炭火焼き豚ご飯)、お店によっては焼きでなく揚げの場合もあります。そして右が米粉の麺でベトナムでいうところのフォーです。これにあとお粥を加えるとカンボジアの3大朝食になります。
私はこのバイサイチュルークが好きで毎朝これを食べていました。だいたい50円~100円くらいで食べれます。(2010年前後の当時の値段ですが3年前くらいも同じような値段で食べれました)
朝食以外のメニューになると空芯菜の炒め物(左上)、茄子とひき肉の炒め物(右上の左の料理)、生姜たっぷりの肉の炒め物(右上の右の料理)、チャーハン(左下)など中華料理のようなメニューがたくさんありましてこれらの料理はどんな地方のローカルレストランでも食べることが出来ます。
また胡椒の産地であるカンボジアではフレッシュな青胡椒を使ったイカの青胡椒炒め(右下)というメニューがあるのですがこれはカンボジアに旅行することがあったら是非食べていただきたいメニューです。フレッシュな青胡椒がたっぷり使われておりこうした料理は世界でも珍しいのではないかと思います。
ご飯がおいしく、また市場では鍋を並べている店もありお持ち帰りも出来るカンボジアでは私は自炊をすることがありませんでした。また肉や魚を食べる頻度もこれだけの違いが出ておりまして栄養面に関してもカンボジアの方が優れていたのではないかと思います。
飲酒頻度、これは言い換えると同僚や協力隊員仲間との交流頻度になりますがこれもカンボジアの方が多かったです。
以上、家と食事を比較してきましたがそれぞれ点数を付けてみると
カンボジアが80点でウガンダは20点といったところです。活動に関してもカンボジア人と協働していたカンボジアでの活動に比べて、ウガンダの活動は私が仕事するとウガンダ人がしなくなるだけであり貢献してるのか?と疑問に思うことが多かったです。
カンボジアでの隊員生活があったのでこうして2回目の協力隊に参加しているのですが最初にウガンダに派遣されていたら2回目の協力隊参加はなかったと思います。最初にカンボジアに派遣されたことに感謝しています。
国、配属先、同僚、これらが変わると状況は変わると思います。これから日本に帰国し日本社会に復帰すると思いますが日本社会に溶け込めるよう頑張りたいと思います。
最後になりましたが直接かかわりのあった調整員や健康管理員の皆様をはじめ、JICA関係者や大使館関係者の皆様にはウガンダで生活するにあたってさまざまなサポートをしていただきました。この場を借りてお礼申し上げます。