2年に1度開催される割礼祭が開催されるとのことでルワンダ国境の地カバレからケニア国境の街ムバレに割礼祭を見学に行ってきました。
割礼祭とは
ウガンダ東部のムバレ周辺やケニア西部に住むBagisu(ギス族)は割礼(陰茎包皮を切開)する伝統があり、割礼は2年に1度行われています。割礼するのは15~20歳くらいの子で割礼が成人としての第一歩のように考えられているようです。今年は8月の第1土曜日が割礼祭でした。この割礼祭(割礼の開始を告げる儀式)を皮切りにウガンダ・ケニアの各地で年末まで割礼が実施されるそうです。
バスの中で話したおばさんの子供は病院で3歳の時に割礼をした、といっていました。現在では部族全員がこのイベントで割礼をするわけではないようです。
割礼祭の会場
ムバレの中心部から徒歩で40分くらいのMutoto Cultural Siteという場所で行われました。
ムバレからトロロ方面に大通りを南下し、Weigh Stationを通りすぎたら未舗装路を左折しひたすらまっすぐです。
祭りの前日にも会場見学に行きましたが前日にはなかった看板が当日には左折地点に掲示されていました。
奥にはワナレヒルというちょっとした山のようなものがそびえ立っています。
割礼前夜祭
割礼祭の前日にも会場を見学に行ってきました。前日は特にイベントがあるわけではなさそうでしたが多くのウガンダ人が集まっていました。輪投げや賭け事遊び、しゃべる生首など、以前カバレの移動動物園でも出店していたものが出ていました。串焼きの屋台やお酒がたくさん売っておりとりあえず飲み食いを楽しむ場になっているようです。
これは会場の売店の写真ですがこの手前のプラスチックの袋に入っている液体がウォッカやジン、ウイスキーなどのお酒です。お菓子と同列で売られているのが日本とは違います。
割礼祭当日
朝10時頃に会場に到着するように行きました。前日は特に仕切り等なかったのですが式典を行う会場と周りの屋台スペースが有刺鉄線で仕切られており、入口には金属探知機と多くの警官が配置されていました。部族の王様とムセベニ大統領が来る(大統領ではなく代理が来ていました)ということで警備が厳重になっているのだと思います。
式典会場には日よけのテントと椅子が並べられており隊員仲間の同僚の教頭先生の口利きで会場に入ることが出来ました。遅れてきた隊員は特に何もなく外国人だからいれてもらえたようで、一般の観光客でも会場内に入れるような雰囲気です。コネやつてのないウガンダ人は有刺鉄線の外側から見ているので外国人というだけで優遇してもらえるのはありがたいです。
昼頃からはじまるのではないかという他の隊員の予想通り、ギス族の王様の到着した昼過ぎから民族のダンス(コンペティションといっていたのでダンスコンペ)が始まりました。
伝統衣装に身を包んだギス族の踊りはなかなか迫力がありました。
伝統衣装ではあるものの現代と融合したような髪飾りもありました。
ダンスコンペが終わって偉い人の話などに移り15時を過ぎたところで多くのウガンダ人が式典会場に乱入(?)してきました。なんだなんだ、とちょっとした恐怖とともに見ていましたが近くにいたウガンダ人に聞いたところ普段は15時くらいには割礼が開始されるようで今回は式が遅れてるので割礼開始のために乗り込んできたようです。
その後その大集団はまた会場外に消えていったのですが式典では偉い人の話が続いていました。話が終わったら式典会場で割礼が始まるものだと思っていたのですがもう割礼は始まってる(というよりも終わった)なんて話を聞き、急遽会場外に飛び出していった人達の後を追うように式典会場を飛び出しました。すると会場外の畑や家屋があるところに大集団がうごめいています。あまりにも多くの人がいるので近づけず、ちかくのウガンダ人からももう少しして人が少なくなったら近づくといいというアドバイスをもらったのでしばらく様子を眺めていました。
そろそろ近づけるなと思い集団の中心部に近づいていくと、外国人の私を見つけた集団内のリーダーのような人がこっちに来い、と手招きしてくれます。ポケットから小銭を出すとマントを広げて割礼後の様子を写真に撮らせてくれました。
周りのウガンダ人は誰かがお金を払ってマントを広げるのを待っていたようです。
血まみれになった陰部は直視は出来ませんでした。これを麻酔もなにもかけずに行っているというのですから想像すると冷や汗が出てきます。割礼後にも他の観客のためにしばらくこうして座っていないといけない割礼実施者達はとても大変だと思います。
割礼最中の様子は見れませんでしたがもう一生見ることが出来ないであろう割礼後の姿を生で見れてよかったです。外国人観光客向けにこの祭り自体をもっと観光化してもいいのではないかと思える貴重な体験でした。